東日本大震災復興 リコーダー演奏会A | 仮設住宅集会所での 復興演奏 |
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場所(地域) | 宮城 | |||
場所(詳細) | 宮城県石巻市 開成仮設住宅集会所・石巻中央公民館 宮城県塩釜市・ふれあいエスプ塩竃 |
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時期 | 2011年12月9日〜12月12日 | |||
費用 | ||||
ワンポイント | 東日本大震災に伴い、宮城県石巻市へリコーダーの復興演奏で再訪させていただいたときの旅行記です。 | |||
総合評価
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☆☆☆
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感想 |
下記の、東日本大震災の年の2011年の6月に宮城県石巻市を訪れて、避難所でリコーダーの演奏をさせていただいたところ、被災地の皆様方からお陰様で癒されました、と大変ご好評をいただきました。それで、同年12月に再演の話が持ち上がり、避難所が閉じられましたので、石巻市内の仮設住宅集会所でのリコーダー演奏会、石巻中央公民館でのクリスマスイベント、そして宮城県塩釜市で行われます「震災復興祈念コンサート」へ坂本先生と一緒に出演、ということになり、同年12月9日〜12日に宮城県を再訪させていただきました。 演奏終了後、石巻市内の木造の旅館をお取りいただき、泊めさせていただきました。そこはご家族で経営されていらっしゃるような旅館で、6月の大震災の影響で建物へ大きくヒビが入り、トイレが使えず外へ仮設トイレが設置されていて、客室の電源も使えず室外から電光ドラムで引く状態でした。しかしながら、ご経営のご夫婦の暖かさに惹かれ、こんな状況の中でも、「震災前のようにいろいろとはできませんが、遠いところからご苦労様です。」と心から出迎えていただけて、私もかつては同じ新潟県中越大震災の被災地でしたので、嬉しく共感させられました。 11日は、宮城県塩釜市で行われます「震災復興祈念コンサート」へ坂本先生と一緒に出演、というお話になり、朝、同旅館を後にして車で石巻市から塩釜市へ行きました。同コンサートは、宮城県内の合唱13団体が出演され、その中で坂本先生と一緒に特別出演として、リコーダーを演奏いただきたいということでした。私共の出番になり、坂本先生と「月の砂漠」、「津軽海峡冬景色」を演奏させていただき、そして私の独奏で自作の「東日本大震災復興への祈り」を演奏させていただきました。この曲がお陰様で、合唱団体の演奏を含めた全プログラムの中で一番多くの拍手をいただき、お役に立てて大変嬉しく思いました。最後にピアノ伴奏と私のリコーダー、そして会場の方々が手にキャンドルを持ち、全員で「ふるさと」を歌い、復興を願うすばらしい催しの幕を閉じました。 |
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東日本大震災復興 リコーダー演奏会 | 日和が丘公園から見た 海岸沿いで被害が甚大なところ |
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投稿日:2011/07/22 05:05
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場所(地域) | 宮城 | |||
場所(詳細) | 宮城県石巻市・石巻中央公民館 | |||
時期 | 2011年6月17日〜6月19日 | |||
費用 | ||||
ワンポイント | 東日本大震災に伴い、宮城県石巻市へリコーダーの復興演奏をさせていただいたときの旅行記です。 | |||
総合評価
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食事
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宿
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交通
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人
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☆☆☆☆☆
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☆☆☆
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☆☆
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☆☆☆
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☆☆☆☆☆
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感想 |
2011年3月11日に戦後最悪の東日本大震災が発生してしまい、多くの方々が被災しました。下記の旅行記での宮城県の坂本先生が県内で特に被害が大きかった石巻市に在住で現在は石巻中央公民館に勤務されて市の指定避難所になっていて、私も2004年10月の新潟県中越大震災で被災しましたのでお気持ちがわかり、坂本先生からリコーダー演奏の話があり、お受けすることになりました。 大変大きな地震のため仙台〜石巻間のJR仙石線が石巻まで復旧していなく、仙台駅前のあおば通33番から臨時のバスが出ていますので十日町〜新潟〜仙台〜石巻の高速バスで往復することにして、6月17日に宮城入りしました。仙台駅に着いてから仙石線が復旧していない影響で石巻駅行きの高速バスが大変混雑し、予定の時間から1本遅らせなければならないかと思いましたが何とか予定通り乗れて石巻駅へ着き、坂本先生から迎えに来ていただきました。避難所の石巻中央公民館に着く前に石巻市で特に被害が大きかった地域をご案内いただき、報道ではあの日以来ずっと見ていましたがガレキの山になっているところや車などが津波で打ち上げられたところなどを実際に目にして全く言葉を失ってしまいました。避難所へ着くと四国からお越しのボランティアさんがいらっしゃり、夕食をいただきそこへ泊まることになりました。 翌日18日の夕方が演奏会ですが、朝はボランティアさんのお手伝いをし、午前中は公民館で祭りがありますので将棋のお相手をすることになりました。炊き出しの昼食をいただき、午後に同市で「日和が丘公園」というところがあって海岸沿いで被害が特に大きかった地域が一望できるためご案内いただき、また言葉を失ってしまいました。同公園へは県外から多くの方々が訪れていました。 夕方から同館の1〜3階の各階を回って演奏会をさせていただきました。最初に私の独奏+自作MIDI伴奏で「サザエさん」、「仮面ライダー」、「日本の四季メドレー」、「陽気なポルカとワルツ」、「NHK連続テレビ小説てっぱん・おひさまのテーマ」、「青い山脈」、「斎太郎節」、「大きな古時計」を演奏させていただき、そのあと坂本先生と重奏で「津軽海峡冬景色」、「コンドルは飛んで行く」、「ふるさと」を演奏させていただきました。演奏終了後、「私も新潟県中越大震災では被災しましたので皆さんのお気持ちがわかり、今回は津波を伴い被害が甚大で現地をご案内いただきましたが全く言葉がございませんでした。皆さんの苦労はこれからも続くと思いますが全国から支援の輪が広がっていますので、希望を持って頑張っていただきたいと思います。本日はご静聴ありがとうございました。」と挨拶させていただきました。 18日も避難所へ泊まり、19日の朝石巻市を出て帰りました。演奏会はお陰様で大変好評で、大反響で涙を流しながらお聴きの方もいらっしゃったそうでした。避難所での生活はずっといると精神面で負担になるかと思い、演奏会が少しでも癒しでお役に立てればと思います。復興にはまだ時間がかかるかと思いますが、頑張っていただきたいと思います。 |
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宮城・矢本リコーダーサークル様 招待演奏 | 9月1日 宮城県桃生郡矢本町 「大曲コミュニティーセンター」にて 坂本先生、子どもさんとともに |
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投稿日:2007/08/23 03:31
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場所(地域) | 宮城 | |||
場所(詳細) | 宮城県桃生郡矢本町・大曲コミュニティーセンター ほか | |||
時期 | 2003年9月1日〜9月3日 | |||
費用 | ||||
ワンポイント | 私が2003年に宮城県へリコーダーの招待演奏をさせていただいたときの旅行記です。 | |||
総合評価
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食事
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宿
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交通
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人
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☆☆☆☆☆
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☆☆☆☆☆
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感想 | 私が所属の「新潟県リコーダー教育研究会」で、毎年8月にリコーダー夏季研修会(合宿)を主催しておりますが、その合宿に、新潟県外の宮城県の教員で、「矢本リコーダーサークル」さんという小学生のリコーダーアンサンブルをご指導されていらっしゃる坂本先生という方が、平成12年から毎年参加されておられ、私がいつも、矢本リコーダーサークルさんが演奏される楽譜のデモテープ作成や、編曲をさせていただいておりますので、私に宮城県に来ていただき、指導やコンサートをやっていただきたいという話があり、矢本リコーダーサークルさんからのご招待で宮城県に行くことになり、9月1日(月)
午後7:00〜8:00に、矢本町(宮城県桃生郡)の「大曲コミュニティーセンター」という会場で、「童謡とリコーダー」と題したコンサートを行うことになりました。宮城県石巻市ほかの地方新聞「石巻日日新聞」の8月28日発行分に、このコンサートのご案内の記事が掲載されました。 9月1日(月)の朝6:40の電車で十日町市を出て、十日町−−(ほくほく線)−−越後湯沢−−(上越新幹線)−−大宮−−(東北新幹線)−−仙台−−(仙石線)−−石巻 という電車のルートで宮城入りし、坂本先生から石巻駅まで車で迎えに来ていただき、昼食を食べたあと、最初に、宮城県桃生郡河北町の「かしわホーム」という福祉作業所で演奏することになり、夜、大曲コミュニティーセンターで演奏予定の9曲(ドラえもんのうた、サザエさん、月の沙漠、赤とんぼ、ふるさと、陽気なポルカとワルツ、ラデッキー行進曲、青い山脈、斎太郎節)を私が演奏し、続いて、坂本先生と私で、グリーンスリーブス、バッハのメヌエット、コンドルは飛んで行く、津軽海峡冬景色の4曲を演奏いたしました。この「かしわホーム」という施設は、心身に障害をお持ちの方々が入所されていらっしゃる施設で、私も言語障害がありますので、大変共感いたしました。入所されていらっしゃる方々が作業されてお作りになった造花を、演奏のお礼としていただきました。 そして、この演奏旅行のメインとなるコンサートの会場の、桃生郡矢本町の「大曲コミュニティーセンター」へ行きました。コンサートは午後7:00〜8:00でしたが、それまでに子どもさんへの指導を少し行うということで打ち合わせをしており、子どもさんが9月21日にTBCの子ども音楽コンクールで演奏する2曲と、コンサートで子どもさんと私で合同演奏をする「矢本東小学校 校歌」(子どもさんが通学している学校の校歌で、私がリコーダーアンサンブルに編曲)の指導を少し行い、矢本リコーダーサークルさんの親の会の皆さんからご用意いただいた夕食をいただき、コンサートの時間を迎えました。 コンサートは一般公開もされますので、一般のお客さんからもご入場いただき、予定どおり午後7:00に始まりました。坂本先生のナレーションで、私が9曲(ドラえもんのうた、サザエさん、月の沙漠、赤とんぼ、ふるさと、陽気なポルカとワルツ、ラデッキー行進曲、青い山脈、斎太郎節)を演奏し、そのあと、坂本先生と私で4曲(グリーンスリーブス、バッハのメヌエット、コンドルは飛んで行く、津軽海峡冬景色)を演奏し、そして子どもさんが9月21日にTBCの子ども音楽コンクールで演奏する2曲を子どもさんだけで演奏し、最後に子どもさんと私の合同演奏で、私がリコーダーアンサンブルに編曲した「矢本東小学校 校歌」を演奏いたしました。演奏終了後、矢本リコーダーサークルさんのほうから花束をいただきました。 コンサート終了後、矢本リコーダーサークルさんのほうから、矢本町のお寿司屋さんで懇親会を開いていただき、坂本先生、学校の先生、子どもさんの保護者の方々、私で歓談しました。そして、ご用意いただいたホテルに向かい、泊まりました。 翌日9月2日(火)は、坂本先生から宮城県の観光にご案内いただくということで打ち合わせしており、午前中、石巻市の石の森章太郎記念館、北上川と太平洋との合流点、北上川上流に浮かぶ船などを見せていただき、午後からは、私が将棋のアマチュア六段(雑誌の検定で実力が伴わず、肩書きだけですが−笑)ということで、桃生郡北上町の吉浜小学校という学校に、お父さんが大工さんをしており、将棋盤をお父さんがお作りになったという小学生がいるということで、その将棋盤で学校で将棋をすることになり、吉浜小学校へ向かいました。 吉浜小学校は全校児童約50人の小さな小学校で、最初、私とその小学生の子どもさんで将棋を指していましたが、せっかくの機会なので、学校でリコーダーを聞きたいという話になり、吉浜小学校の先生方と3年生以上の子どもさんから聴いていただき、9月1日に演奏した曲の中から何曲かを演奏いたしました。そして、私の希望で、吉浜小学校の校歌の譜面をいただき、私が最初にリコーダーで演奏し、次に私のリコーダーと子どもさんの歌で、一緒に演奏いたしました。 そして、坂本先生から矢本駅まで車でお送りいただき、私が翌日仙台市で用事があるので、矢本駅から仙石線で仙台駅に行き、仙台市内のホテルに泊まり、9月3日(水)に仙台市から十日町市へ帰り、旅行を終えました。宮城県石巻市ほかの地方新聞「石巻かほく」の9月3日発行分、 「石巻日日新聞」 の9月10日発行分に、9月1日の「童謡とリコーダー」のコンサートの記事が掲載されました。 この旅行では、宮城県の3ヶ所でリコーダーの演奏ができ、宮城県の多くの方々に、大変お世話になりました。お世話になりました方々に、この場をお借りし、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。 |
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全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募 2001年試奏審査会 | 試奏演奏の風景 |
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投稿日:2007/08/23 03:28
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場所(地域) | 東京 | |||
場所(詳細) | 東京・普門館(杉並区) | |||
時期 | 2001年6月20・21日 | |||
費用 | ||||
ワンポイント | 平成13年に「陽気なポルカとワルツ」という曲で佳作に入賞したときの、全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募の試奏審査会の模様で、 リハーサル:6月20日 、審査会:6月21日 です。 |
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総合評価
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食事
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宿
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交通
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人
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感想 | トップページにご紹介してありますとおり、平成13年に、全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募にて、私が応募の「陽気なポルカとワルツ」という吹奏楽曲が、佳作に入賞(賞金10万円)いたしました。その東京での試奏審査会の様子です。 このホームページの「課題曲作曲公募について」というところにご紹介してありますとおり、課題曲作曲公募は、平成8年から、第1次審査がフル・スコア(吹奏楽の楽器全部が書いてある譜面)で、それを通過すると、第2次審査がプロ吹奏楽団による試奏(パート譜という、各奏者が演奏する譜面)という形で行われており、第2次審査の試奏を通過した作品の中から、翌年(すなわち今年)の課題曲として制定されます。 第1次審査のフル・スコアの通過は非常に難関で、毎年通過数が応募数の約10%程度で、平成13年も、応募52作品に対して、通過はわずか9作品のみでした。私は平成2年から毎年この課題曲公募に応募していますが、アマチュアということもあり、第1次審査がコンデンス・スコア(フル・スコアを凝縮した譜面で、ピアノ譜のようなもの)であった平成7年までは、コンデンスは4回通過になりましたが、フル・スコアの通過は昨年が初めてでした。 平成13年のフル・スコア通過者に対する試奏審査会は、6月20日にリハーサル(作曲者立ち会いで、プロ吹奏楽団に試奏演奏いただく)、そして翌6月21日に審査会という形で行われました。会場は、毎年全日本吹奏楽コンクールの中学校・高校の部を開催している、あの「東京・普門館」(東京都杉並区)で、演奏は、東京・普門館を拠点とし、毎年課題曲の譜面とともに発売される参考演奏の収録をしている、プロ吹奏楽団の「東京佼成ウインドオーケストラ」で、昨年の審査会の指揮者は、平成8年の課題曲「管楽器のためのソナタ」を作曲された、日本を代表する吹奏楽の作曲家・「伊藤康英」氏です。 私は、リハーサル(20日)・審査会(21日)の両日ともに参加することにし(作曲者であっても参加は両日とも任意で、参加しない場合は譜面だけでリハーサル、審査されます)、杉並区の近くの練馬区に叔父がいるので、20日はそこに泊まることにしました。 20日に上京し、会場の普門館に行くと、すでに大編成のほうのリハーサルが終わっていました。(平成7年からの課題曲作曲公募は、大編成・小編成に分けて募集されており、作曲者はいずれか一方を選びます。)私の曲は小編成で、リハーサルは午後からです。待合室に通され、大編成の作曲者何人かとお会いしましたが、その中に、某年度の課題曲に採用となった作曲者K氏がおられ、私は驚いてしまい、「何か私、とんでもないところに来たのではないか? なぜ私がここにいるのか」(笑)と思ってしまいました。 午後になり、小編成のほうのリハーサルが始まり、私の曲の番になりました。作曲者立ち会いのためにステージに上がり、あいさつをし、まず一度、東京佼成ウインドオーケストラの方々から、譜面を通して最後まで演奏いただきました。その後、作曲者の私のほうからいくつか「ここをこのように・・・」という意向を伝え、そのようにもう一度演奏いただき、リハーサルを終えました。 東京佼成ウインドオーケストラの皆さんは非常に気さくな方々で、会場で話ができ、また、毎年課題曲参考演奏の収録をしているプロですので、演奏も大変すばらしく、指揮者の伊藤康英氏の解釈も見事でした。 20日の夜は予定どおり叔父の家に泊まり、翌21日はいよいよ審査会です。審査員のお2人を会場に迎え、フル・スコア審査を通過した9作品と、今回は委嘱作品(あらかじめ全日本吹奏楽連盟のほうから作曲家に依頼する作品で、最初から課題曲になることが決まっている)が1作品あり、合わせて10作品が大編成、小編成、委嘱作品の順に演奏されました。どの作品も難関フル・スコア審査を通過しただけあり、大変すばらしく、私はフル・スコアを通過できて、東京佼成ウインドオーケストラの方々から演奏いただけただけで幸せで、これ以上の入賞や課題曲として採用などは期待していませんでした。審査会の結果は当日会場では発表されず、後日各自宛に通知となります。 約3週間後、全日本吹奏楽連盟から通知がありました。私の曲は、課題曲として採用にはなりませんでしたが、何と!「佳作」に「入賞」(賞金10万円)となりました! これは私のようにアマチュアで独学で作曲をやってきた者としては大成果で、ここまでの成果を出せたのも、多くの音楽仲間の方々の応援あってのことと思い、深く感謝しております。審査結果とともに、東京佼成ウインドオーケストラの方々の演奏による自作品のテープ・MDが送付され、8月に、佳作入賞の表彰状が郵送されました。 以上のようなことが、トップページの佳作入賞の背景です。今後も生ある限りはこの課題曲公募には毎年応募していき、いつかは「採用」を目指したいというのが夢でもあります。 |
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