音楽関係随想記


私の、日頃の音楽活動に対する随想的なことです。お気軽にご覧下さい。



作曲・編曲について


 私は、随所でご紹介しているとおり、作曲・編曲はアマチュアで、趣味で楽しくやっている立場です。

 トップページのとおり、平成13(2001)年に、全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募にて、最終審査で「佳作」に「入賞」、すなわち課題曲として採用の一歩手前となり、賞金10万円となりましたが、私の場合学んだ方法としては、ほとんど独学になります。

 以下、随想と言えるかどうかわかりませんが、当ホームページの「プロフィール」と重複する部分が多いですが、より詳しく、私の作曲・編曲歴をご紹介していきたいと思います。




 私が作曲・編曲をやりはじめたきっかけは、当ホームページの「プロフィール」のページにもご紹介しましたが、小学生の頃から言語障害がはっきりしてきたので、当時の担任の先生が、音楽をやってリズム感を身につければ、障害の解消に効果があるのではないかと思い、特設のリード合奏団(器楽合奏のこと)に私を入れ、その合奏団の顧問の先生が、私たち児童の楽器の編成(メロディオン、アコーディオン、ハーモニカ、打楽器など)に合わせて「編曲」をされていらっしゃり、

 その編曲を見たのがきっかけで、「やりたい曲を、『編曲』という作業をすることにより、自分たちの編成に合わせて演奏できるようになる!」ということを知り、当時、子供心にすっかり編曲の魅力を感じてしまいました。

 そして、そのリード合奏団の児童たち、すなわち私たちに配られた、先生が編曲した楽譜を見た私は、その小学生当時から見よう見まねで「編曲」を始めました。もちろん当時は初学ですので、まだ下手です(笑)。小学生の頃は、そういった見まねの編曲の楽譜ばかり書いていたような記憶があります(笑)。

 小学校卒業の年に、卒業式後の「謝恩会」で、各クラス(私のクラスを含めて、私の学年は当時4クラスありました)で何か出し物を発表しようということになり、私のクラスは、私が「器楽合奏をやりたい!」と提案し、それが通ってしまいました。クラスのみんなが演奏し、私は編曲と指揮をすることになり、当時私たちが使っていた音楽の教科書にあった、ベートーヴェンの「喜びの歌」(交響曲第9番「合唱つき」より第4楽章の、大変有名な部分)を、リコーダー、オルガン、太鼓などのリード合奏に私が編曲して、発表しました。

 発表後、それを聞いていらっしゃった合奏団の顧問の先生が、「この曲は、このクラスの中で、今、指揮をした、児玉君が編曲をしたものです。皆さん、この児玉君に、もう一度拍手をお送り下さい。」と私を紹介してくださいました。それを聞いていた校長先生も、驚きました(笑)。

 当ホームページの「作曲・編曲について」のところに記載したとおり、作曲・編曲は、@ まず、「編曲」で、楽器の置きかえから入り、A 次に、「編曲」で、メロディーラインに対する伴奏付けをやっていき、B 最終的には、「作曲」をやっていく、という手順ではいかがかと、ご提案的にご説明しましたが、

 私もその例であって、まず@でした。上記の卒業式での謝恩会の編曲は、Aの要素がかなり入っており、「喜びの歌」の編曲の元となった教科書はたしか合唱で2声の楽譜(上と下に分けて歌う)でしか書いていなかったと思ったのですが、もちろんその2声の部分はそのまま合唱を器楽合奏に@のように置きかえたとしても、ほかの伴奏部分は、全部Aのように、自分で作ったと記憶しています。

 そして中学校に入り、当ホームページの「プロフィール」のページのとおり、私が中学生の当時、全校生徒対象で、「生徒会歌」を作ろうということになり、最終的にその生徒会歌の「作曲」のほうは私の曲が採用になりました(「作詞」は、当時の生徒会長の詞が採用になりました)。このへんから上記Bの、作曲が始まってきたような感じでした。

 中学校、高校では、音楽好きな子供であった私は当然のごとく部活動は吹奏楽部に入り(私のパート、すなわち受け持ちの楽器は「トロンボーン」でした)、部内で必要に応じて「編曲」をやってきました。中学校の吹奏楽部では、学校の校歌、応援歌、体育祭でのファンファーレ、そして文化祭での発表曲の一部、卒業生を送る会での演奏曲の一部などが、私の編曲でした。

 中学校の卒業式後、保護者と先生方とで会合があり、その会合の中で、その中学校の吹奏楽部の顧問の先生は、私の父親に、「あの子は、どうしてみんな自分でああやって『編曲』ができるんでしょうねえ。私でさえそういうことは全然できないので、大変助かっています」と言ったそうです(笑)。

 高校の吹奏楽部では、年2回の対外向けの演奏会を市民会館で開いており、その中で、いつも私の編曲の曲(クラシック)を1曲ずつやっていました。そして、それを見た高校の吹奏楽部の顧問の先生が、私が高校1年のときに、毎年吹奏楽部がやっている「卒業式での記念演奏」に、思い切って私に吹奏楽曲の作曲を頼み、未熟な曲でしたが、吹奏楽部で演奏しました。これは完全に上記Bのオリジナル曲であって、このへんまでいくと独学でしだいに作曲・編曲が身についてきたような感じでした。

 高校卒業後は、東京の経理・会計の専修学校(2年制)に進学し、横浜の学生寮から通学していました。この頃は、専修学校というものはどこも大学の4年制に比べて修業年限が短く、その分、授業、カリキュラムが厳しく、とにかく勉強勉強の日々で、音楽の部活動などはそういったサークルそのものが学校にはないので、音楽はほとんどやっていませんでした。唯一音楽をやったのは、東京に私の叔父(母親の弟)がおり、その叔父の子供(すなわち私のいとこ)が私と同じで吹奏楽部で、音楽が大好きで、時々遊びに行って、私が譜面を書いて、その子とリコーダー(縦笛)アンサンブルをやりました。また、鑑賞では、東京に当時下宿していた、その子とは別の私のいとこが、大学でオーケストラをやっており、演奏会を聞きに行ったりしていました。

 そして、専修学校終了後は、地元(自宅)に戻り、Uターン就職で地元の会社へ専門学校の経験を生かし、経理で勤め始めました。その社会人になりたての頃は音楽活動はやっていませんでしたが、その大学オーケストラをやっていたいとこもUターンで地元に戻りましたので、そのいとこが先に地元の市民吹奏楽団に入り、私が学生時代にトロンボーンの経験があったのでいとこから誘われ、十日町市民吹奏楽団というアマチュアの市民バンドに入りました。

 そして、その市民吹奏楽団に入った頃は、作曲・編曲はかなりモノになっていましたので、団内で必要に応じていろいろと依頼を受けて、作曲・編曲をやりました。新潟県の消防大会が十日町市に来たことにより、地元にちなんだ曲を、ということで、「十日町小唄行進曲」の編曲を当時の団長から依頼を受けたり、ライオンズクラブという、地元の事業所の上役クラス(事業主である社長、重役たち)の集いの、年次総会が十日町市で開催された年に、そこで使うライオンズのテーマソングなどの編曲をお受けしたり、十日町市の川治(かわじ)公民館というところの館長補佐の方が公民館のテーマソング「川治公民館音頭」を作詞されたので、それに曲をつけてほしいという依頼が十日町市のほうから団にあり、私がその作曲をお受けしたり、十日町市の「雪まつり」にて、東京都の日野市からスノーマンの方々が来市され、その方々が作曲した雪まつりのテーマソングがあるので、それを私が補作(作曲された曲に対して、補助的に修正すること)し、吹奏楽に編曲したり… という機会がありました。

 もちろん、依頼ではなく、市民吹奏楽団の頃は私のほうから独自に作曲もしており、平成元年の、十日町市民吹奏楽団の設立15周年記念定期演奏会の年に、私が作曲の行進曲「希望の光」という曲を団で演奏することになり、団員から評判が良かったので、その曲を、翌年に、全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募に応募してみてはどうかという薦めが団内からあり、応募したところ、何と平成2年当時の第1次審査(「コンデンス・スコア」という譜面で、吹奏楽の楽器全部の譜面を、ピアノ譜のような感じで、同じ調にして集結した譜面)が「通過」になり、

 それをきっかけとして、平成2年から毎年、この「全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募」に応募しており、平成7年までは第1次審査がコンデンスで、その間4回コンデンスが通過になりました。が、平成7年までの第2次審査と、平成8年からの第1次審査である「フル・スコア」(吹奏楽の楽器全部が個々に書いてある譜面)の審査の壁がなかなか破れず、

 それもそのはずで、コンデンス・スコアは、「アマチュアに作曲を奨励する」という全日本吹奏楽連盟(課題曲公募の主催団体)としての目的があり、フル・スコアに比べて若干通しやすくしているとのことで、応募数を100とした場合、コンデンス通過はおおむね40ですが、フル・スコア通過はおおむね10で、すなわちフル・スコア通過数は応募数に対して実に約10%の難関で、これではプロでもみんなが通過できる数字ではないのではないかと私は思います。

 が、トップページのとおり、ついに平成13年に、「陽気なポルカとワルツ」という吹奏楽曲がフル・スコア審査を通過し、晴れて次の審査の「試奏」(「パート譜」という、各楽器別に演奏者が吹くために書いてある譜面を提出し、実際にプロ吹奏楽団が演奏して審査する)に進むことができ、プロ日本一と称される「東京佼成ウインドオーケストラ」の試奏演奏が入り、この年は、最終的に「佳作」に入賞(すなわち、全国の吹奏楽コンクールで実際に採用されて演奏される、一歩手前)となりました。

 ですので、佳作受賞まで、応募当初から実に足かけ11年かかったわけで、このへんがアマチュアとしての気楽な立場でのゆっくりさと言おうか、特権と言おうかというところで、「待てば海路」「石の上にも3年」「人生七転び八起き」のようなことわざがあてはまるような感じです(笑)。




 作曲・編曲では、こんな経歴の私ですが、当ホームページの随所で書いているとおり、私ができる作曲・編曲は、いつでもお受けしております。何かご依頼がございましたら、是非お気軽にBBSに書き込みか、メール下さい。お待ちしております。




 私は、総じて、音楽とは、人の生活の中では「うるおい」の役割にあたると思い、それが、義務教育では「主要教科」ではなく、「芸術」としての音楽の位置づけとも思い、私たちのまわりを見ても、音楽はあらゆるところで使われており、学校の授業、各地コンサート、街を流れる音楽、テレビやラジオでの音楽など、数えあげればキリがありません。「必要不可欠」なものではないとは思いますが、かといって、まわりを見渡すと、音楽のない生活などはあり得ないと思います。

 かの有名な、ヴァイオリニストの五島みどりさんが、あの平成7年1月17日の、阪神大震災の直後に、マスコミ(新聞)を通してこのようなことを言っていました。
   −−−「こんな身も果てもない、震災直後の悲惨な追いつめられた状況の中で、音楽って一体何になるんだろう。もっと必要なことがあるのではないか。私がやっていることって、いったい何なんだろう…。」と。

 しかし彼女は、この震災直後、震災で被害にあった方々のためにヴァイオリンのボランティアコンサートを開き、そういった方々を励まし、心を豊かにして下さいました。これこそ音楽が持つ魅力であり、音楽の真の役割ではないか、と私はこのとき感じました。私はこの五島さんのボランティアの話が心から大好きです。

 平成23年3月11日に、かつてない大規模で津波や原発事故を伴う東日本大震災が発生してしまいました。私はこの震災による被害が甚大であった宮城県石巻市に音楽仲間がいて、平成23年6月に石巻市の避難所で、平成23年12月に石巻市の仮設住宅と宮城県塩釜市の「震災復興祈念コンサート」でリコーダーを演奏させていただきました。お陰様で大変好評で、「癒しになった」という声が多かったです。これは特に、避難所へいらっしゃると生活がどうしても単調になりますので、喜んで受け入れていただいたのではないかと思います。私もささやかながら五島さんのようなことができ、嬉しく思いました。




 音楽は、英語では「Music」ですが、日本語では、当たり前のことですが「音」ではなく、「音」と書きます。しかし、この「当たり前のこと」が、日本語訳で実に「名訳」とされているのです。なぜならば、日本語では「音を学ぶ」とは書かずに、「音を楽しむ」と書くからです。

 音楽は、その日本語訳の通り、楽しむために私はあるものと思い、人により、実にいろいろな楽しみ方があると思います。多くの人は鑑賞であり、歌手のファンになったり、いろいろ聞いたりしており、私のように作曲・編曲、楽器をやる人もあれば、音楽の仕事で教員、歌手、ディレクター、音響技術者、楽器店勤務、写譜屋さんなどの方々もいらっしゃり、アマチュアでバンドをやって楽器を吹く方もいらっしゃり、合唱をやる方もいらっしゃいます。このように実にさまざまです。が、最低限として「音楽を耳に入れた」ことという観点から考えると、そういう言い方をすれば、少なくとも世の中で音楽にかかわったことのない人はいないと思います。

 私が小学校の頃の音楽の先生は、冗談っぽく、「音」は「音が苦」ではない、と授業で言っていました。当たり前であって、今まで私が書いてきた趣旨からして、「音が苦」などという言い方はもってのほかです(笑)。これでは、「楽しむ」どころか、「苦しむ」ということになり、今までの趣旨と全く反対になってしまいます。

 ですので、各自の楽しみ方でやるのが「音」であり、そのへんが、音を「楽しむ」と書く、日本語訳の由縁であるような気がしています。今まではどちらかというと私の経歴的でしたが、最後は随想っぽく終わりたいと思います(笑)。



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吹奏楽について


 吹奏楽は、今では小学校にスクールバンド(学校の吹奏楽部)がある学校もありますが、それは今でも少なく、ほとんどの場合が中学校の吹奏楽部からやりはじめます。

 私もそうで、私の場合は、この随想の作曲・編曲についてのところにも書いたとおり、小学校でリード合奏をやっていたので、その影響もあり、昔からスポーツは苦手だったので(笑)、迷うことなく中学校では吹奏楽部に入り、高校でも続け、

 その後東京の専修学校に出ていた頃は、そこに吹奏楽部がありませんでしたので、地元にUターン就職をして少ししてから、長く一般バンドを続けました。

 吹奏楽についての随想というと、いろいろあり、とても簡単には書き表せませんが、私はここでは、最近クローズアップされている、小編成のバンドについて少し詳しく述べてみたいと思います。

 現在、日本には、全国規模の吹奏楽コンクールがあり、地区予選から始まり、最終的には全日本吹奏楽コンクールとしての全国大会になります。

 全国大会はもちろんですが、その前の支部大会でも、各県代表のバンドですので、すばらしい演奏の連続が繰り広げられます。ところが、支部大会、全国大会まで進むことができるバンドは、コンクールに参加したバンドのうちほんの一握りの優秀なバンドであって、

 このホームページの「吹奏楽の知識」のところにも書きましたが、最近は少子化と、部活動をやらない生徒さんの増加により、スクールバンド(学校の吹奏楽部)では、吹奏楽の編成が小さくなっている学校が多く、指導者の先生方はかなり悩んでいらっしゃる、というのが実情のようです。

 私も、中学校に入学した年は、10数人の弱小吹奏楽部で、人数が少ないだけではなくて部員も下手で、コンクールはおろか、地元の音楽交歓会にも出場できず、高校、一般バンドでは大編成でしたが、その頃は小編成バンドの悩みを充分味わってきた人間です。

 そこで、小編成バンドの場合はどうするかですが、一番大切なのは、このホームページの「吹奏楽の知識」のところでも書いたとおり、メロディーライン、対旋律など、楽曲構成上重要な部分を受け持つ楽器がなく、子供さんがいない場合、ほかのいるパートに移して吹く、ということで、

 私の持論ですが、このことにより、かなり小編成でも充分音楽になると思っています。やはり前述「吹奏楽の知識」で書きましたが、たとえば弦楽四重奏では4人、弦楽五重奏では5人でも、すばらしい音楽を奏でています。

 吹奏楽は大勢で音楽を構成しますが、なぜ、その4人や5人でも密度の高い音楽になるのかというと、そういった四重奏、五重奏では、重奏の中でメロディー、メロディーに対する重ねの音、対旋律、伴奏が少ない楽器でうまく構成され、ムラなく作られており、

 これは私がやっているリコーダーアンサンブルでも同じことで、だから、少ない楽器でも充分すばらしい音楽を表現することができます。

 ですので、吹奏楽の小編成バンドでも、極々小編成の場合はこのように音楽を構成するために、メロディー、メロディーに対する重ねの音、対旋律、伴奏を、今ある楽器でうまく配分すれば、充分音楽を構成できると思います。

 最近の吹奏楽コンクールは、かつてに比べて「全国大会に通じない部門」(支部によっては、それが課題曲を演奏しない部門)が非常に充実してきており、

 私が属する新潟県・西関東支部は、かつては自由曲のみ演奏部門(Bの部)は最高が新潟県大会止まりでしたが、昭和の終わり頃になって、自由曲のみ演奏部門でも、1団体だけ当時の関東大会(東関東、西関東に分離する前)に出場できるようになり、

 その後、2団体となり、だんだん代表数が増えてきて、今では9〜10団体位が自由曲のみ演奏部門でも西関東大会に出場できます。すなわち、今はコンクールの制度としても、そこまで小編成に対しても充実しているのです。それどころか、今では、全国大会がない自由曲のみ演奏部門であっても、西関東支部で言えば西関東大会の上として、東日本学校大会という機会でさえ設けられました。

 吹奏楽コンクールは、支部大会や全国大会に出場しているような優秀バンドだけのための機会では決してありません。全てのバンドに対して公平な、技術修練、発表の場であると思います。大編成は大編成なりに、小編成は小編成なりに楽器を配分して、どのバンドも頑張っていただきたいです。小編成での楽器の配分、移し替えなどのご相談がございましたら、私でよろしければいつでもBBS、メールでお受けいたします。



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コンピュータの楽譜について


 トップページの、「私が可能な作曲・編曲はお受けします」というところの下に、「平成14年に、楽譜作成では史上最強と言われるパソコンソフト『Finale2002』導入! 印刷譜並みに美しくできます。」と入れさせていただきました。

 最近では、こういったコンピュータ浄書による譜面が非常に流行しており、かつては「印刷譜」というと、専門の浄書プロが手間暇かけてカラス口や活字を貼り合わせ、出版社などで丁寧に作ったものですが、

 今では、楽譜作成の優秀なソフトが次々に開発されてきており、その最大の特長は、何といっても手軽に早くパソコンだけで楽譜を仕上げられますし、わざわざ書く面倒な手間が省け、保存して読み込めば修正も容易に可能なので、

 出版社も、次々とパソコン浄書による譜面で出版しており、今、出版される楽譜は、昔の浄書スタイルのような楽譜がほとんど見受けられなくなったと言っても過言ではありません。



 では、私の音楽活動での、パソコン使用歴をご紹介させていただきたいと思います。

 私は、今までは、コンピュータ使用の楽譜というのは、個性喪失と思っており、誰が作っても同じになるので手書きに比べて味がなく、あまりいい気がしていませんでしたが(笑)、

 平成10年と思ったのですが、同居の弟が、「Singer Song Writer Lite版」というソフトを興味本位で買い、このソフトは、楽譜をパソコンに打ち込めば、それがそのまま音になって、パソコン付属のスピーカーから聴けるというもので、

 これを弟に紹介された私は、パソコンに打ち込むだけで、自分が作曲・編曲した曲を実際に音にして聴けるので、作った曲の音の確認にまことにもって便利この上なく、

 それ以降、今までの考え方を否定し(笑)、音楽・楽譜作成のパソコンソフトの魅力にすっかりハマってしまいました(笑)。

 ただ、当初使っていた「Singer Song Writer Lite版」というソフトは、文字どおりLiteな(軽い)ソフトで、@楽譜の印刷は、同じ小節幅の譜面が、1段しか出てこなく、複数段ができない(もともと音楽を作ることが目的のソフトで、プリントは本当に付属程度)ことと、A複数の五線が同時にパソコンの画面に表示できなく、たとえば歌とピアノの楽譜を作るとしたら、それぞれ歌の部分、ピアノの部分だけでしか、画面に表示されない、の、使いにくさがあったのですが、

 それからしばらくして、やはり弟から、「Singer Song Writer Ver4.0」という、バージョンアップ版が出たという情報を聞き、それを入れたところ、この2つの点は解消され、@は小節の音譜の多さに応じて自動的に小節幅が変わるし、複数段の楽譜も印刷でき、Aはパソコンの画面の許す限り、複数の五線が同時に画面に表示され、楽譜作成にほかのパートを見ながら作成が可能になりました。

 この「Singer Song Writer Ver4.0」は音楽・楽譜作成ソフトとしては大変な優れ物で、しばらくはこれを愛用しており、パソコンに譜面を打ち込めば自動的にそれが音となってスピーカーから再生されるのでデモテープ作成に強力な威力を発揮しており、当時はデモテープ作りにこのソフトを使って、まわりの音楽仲間に自作曲などを紹介したりしていました。

 ただ、「Singer Song Writer Ver4.0」は、楽譜の印刷機能は、たしかに、「Singer Song Writer Lite版」に比べれば大幅アップしたのですが、このソフトでの印刷は、楽譜の記号の部分(強弱記号、速度記号、練習番号、発想記号、反復記号などの記号類全て)が何も出てこなく、複数段の楽譜が、音譜と休符しか出てこないので、

 このソフトで、私が応募している、全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲公募や、JBA(日本吹奏楽指導者協会)「下谷賞」吹奏楽曲懸賞募集などの、公的な作曲の機会に応募する楽譜レベルまで仕上げるには、印刷したあと、各種記号や小節の段組みを、ワープロや手で入れて仕上げなければならなかったので、それが結構手間になっており、

 まあ、手書きに比べたら、音譜を打ち込むだけで楽譜が印刷できるので、早いのですが、吹奏楽譜の場合は、使用する楽器が多いので(約30段くらい)、プリントしてから仕上げまでが、少し時間がかかっていましたが、

 そこで、冒頭で書いたように、平成14年に、楽譜作成では史上最強と言われるパソコンソフト「Finale2002」を導入し、今度は、各種記号まで全て、パソコンで作成できるようになり、しかも、出版譜レベルに仕上げるのを想定して設計されたソフトですので、譜面の仕上がりが大変きれいで、出版されている楽譜とほとんど変わらなく、助かっています。


 こんなところが、私の音楽活動でのパソコン使用歴ですが、今や音楽にパソコンは非常な勢いで普及を見せています。

 ホームページへの音楽の採り入れも、当初はMIDI形式のところを、今やMP3の普及で、パソコンの音だけではなく、マイク録音での楽器そのままの音がホームページに入るようになっていますし、

 シンセサイザーなどの電子楽器の普及も、かつてはシンセサイザーといったら冨田勲さんの「展覧会の絵」(作曲:ムソルグスキー/シンセサイザー編曲:冨田勲)や、喜多郎さんの「シルクロード」が有名でしたが、今やアマチュアのバンドにもシンセサイザーが大変普及しており、手軽に使われています。

 ただ、「電子楽器や、コンピュータ浄書の楽譜は、人間が直接やるものと比べて味がない」という声もあり、私は、必要なところは電子を使い、最終的にそれを動かすのは人間であると思います。コンピュータ浄書の楽譜にしても、作成はコンピュータですが、その運用、演奏は、人間がやることです。

 そういった、機械と人間との接点を有効に結びつけることが、音楽における電子の良い利用法であると思います。このあたりが、私がコンピュータの楽譜について言いたかった、「随想」的な部分ですね^^。

 このホームページの随所で述べていますが、私は自分で可能な作曲・編曲はお受けしており、上で述べてきたとおり、平成14年に「Finale2002」の導入によって、楽譜作成が一段とパワーアップされ、平成18年に「Finale2006」へバージョンアップいたしました。作曲・編曲でご依頼がございましたら、私が可能なものはお受けいたします。お気軽にBBSかメールでご相談下さい。



H30.12.30 更新テスト済み